日本会議北海道本部「北海道博物館問題対策委員会」(※以下、対策委員会)は、本年5月27日、北海道知事に対し、北海道博物館の展示に関する公開質問状を提出しました。
対する道は、6月27日付で回答案を提示。当会は、回答の具体性を確保する目的から質問趣旨・意見・要望等等を内容とする意見書を提出、かくして8月22日、北海道知事より正式回答がなされました。ここに、皆様の閲覧に供するため、公開質問状・正式回答書の全文を掲載します。ご参照いただき、ご意見などお聞かせいただければ幸甚に存じます。なお、以下に公開質問に至った経緯や博物館に対するあり方について、当会の基本姿勢を明らかにしておきたいと思います。
本ホームページ最下段〝おわりに〟の、「質問と回答」ではその内容を見やすくまとめてあります。
また、「公開質問状」と「正式回答書」では、全文を掲載してます。
「何か変なんですよね‥‥」
公開質問のきっかけ
この度の公開質問は、ある観覧者のひと言が理事会で紹介されたことから始まりました。当会では、早速7名のチームを作って同館内、展示をつぶさに視察。その結果、贖罪感を植え付けるような展示内容に、私たちは北海道在住の日本人として、大きな違和感と疑問を共有することとなりました。と同時に、湧き出た思いは、苦難に満ちた北海道開拓に携わった先人たちへの敬意を欠いた展示に対する義憤であります。
この実態は断じて看過されるべきではなく、是正に向けた処方として公開質問に至ったことは必然の成り行きでした。既に撤去されましたが、左のような展示もされていました。
2、そもそも博物館とは何でしょう?
広辞苑によれば、博物館とは「古今東西にわたって考古学資料・美術品・歴史的遺物その他の学術的資料をひろく蒐集・保管し、これを組織的に陳列して公衆に展覧する施設。また、その蒐集品などの調査・研究を行う機関」と定義されます。現在ではミュージアムと言った方がなじみやすいかもしれません。形態は、個人・企業・自治体・国と様々ですが、設置運営が税金で賄われる"公立"となれば、その数は、平成23年10月現在、全国で5747館(※文部科学省・社会教育調査。登録・相当・類似施設合計の館数)となります。これらの設置根拠は下記のとおり教育基本法その他各種法律にあり、北海道博物館もまた、法の要請を受けた北海道条例第91号(H28/10/14)により、設置・運営がなされるものです。
3、北海道博物館設置の趣旨と目的
では、博物館の設置、運営根拠の関係諸法(関係条項のみ)を概観してみましょう。まず「教育基本法」ですが、同法は第12条1項で、社会教育は国と地方公共団体によって奨励されるべきとし、そのため「国及び地方公共団体は、図書館、博物館…社会教育施設の設置…によって社会教育の振興に努めなければならない(同条2項)」ことを規定します。
次いで、この精神は「社会教育法」に引き継がれますが、同法は社会教育が主として青少年、成人に対する教育活動であることを定義すると共に、その奨励のため公共団体に対する施設等の設置任務を求め(第1条、2条他)、更にこの法律の精神は「博物館法」に引き継がれて、より具体化されます。博物館法は、博物館の設置・運営、地方公共団体が設置するものが公立博物館であること(2条2項)、館長・学芸員を置くこと(4条)、公立博物館の設置は条例によること(18条)、公立博物館の所管(19条)等を規定しますが、これにより博物館の全体像が理解されることになります。要するに、公立博物館は「教育基本法→社会教育法→博物館法→条例」という一連の法規を根拠とした施設であり、その意味するところは、その設置、運営に際し、独断や偏向などという恣意的な要素が許されないということです。
教育基本法は、個人の尊厳、真理と正義を希求、伝統の継承…するため、学問の自由、審理探求の態度の涵養、伝統文化の尊重、我が国と郷土を愛する…ことなどを教育目標にしておりますが、北海道博物館が、これら理念や目標に合致されるべき施設であることは明らかであります。
ちなみに、「北海道博物館ガイドブック」(2015初版 59頁)にある同館の使命は次のとおりです。
4、公開質問に至った理由と立場
もとより思想、信条は各人の自由であります。個人が如何なる博物館を設置し、何を展示しようとも、原則として他者の関与によって変更、廃止されるいわれはありません。しかし、公立博物館の存在根拠が上記のとおりである以上、その趣旨や目的、運営はそれらに依拠すべきはずで、それこそが"公立"の所以ということでありましょう。
上述のように、観覧後の違和感、疑問、義憤…が動機ではありましたが、公開質問をするに当たっての私たちの立場は明快です。すなわち、公立としての北海道博物館の運営(具体的には展示)実態が、根拠とされる関連諸法や道条例から乖離しているのではないか…ということです。博物館をプロパガンダの温床としてはならないとの願いを込め、私たちが北海道博物館の展示を問題とするのは、突き詰めればその一点であります。
では、どんな展示をしているの
展示・解説の一例から、その背景や問題点、意図などを探ってみましょう。
第2テーマアイヌ文化の世界
http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/exhibition/permanent/theme-02/
アイヌは、日本の先住民族です。「アイヌ」とは、アイヌ語で人間という意味です。アイヌ民族は、この北海道をはじめ、サハリン(樺太)、千島列島などを生活の舞台として、さまざまな文化を育んできました。明治政府が北海道を日本の領土に入れ、開拓を進めるなかでその生活や文化は大きな打撃を受けます。
※下線:対策委員会
この解説文を見て、みなさんはどう思われますか。一読して、なるほどと頷く向きもあるかもしれません。
が、しばし展示に向きあったとき、多くの方々は、ぬぐい去れない違和感や疑問を持たれることと思います。併せて、その背景に潜むある特定の思想的傾向―すなわち"階級闘争史観"を読み取ることができるはずです。
階級闘争史観とは、ご存じのとおり共産主義の考え方で、社会や人間関係は、搾取する側(政府や大企業などの資本家)と、搾取される側(労働者や民衆)で成り立っているとするものです。そこで、展示されている日本人とアイヌ人を、この視点に置き換えてみましょう。解説文の意図がより鮮明に理解できると思います。
"2-4 歩みをたどる"の解説ボードもお読みください。
http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/exhibition/permanent/theme-02/
さらに具体的に検証してみましょう。
[検証1] アイヌは、日本の先住民族です。
☞ アイヌ人は本当に日本の先住民族なのでしょうか
回答及び対策委員会の見解は、"回答" "対策委員会の見解"をクリックでご覧いただけます。(以下同様)
人類が日本列島に生活したのは4万年前、日本人がDNAを受け継いでいる縄文人は、1万3千年前からとされています(国立東京博物館)。
このような中で「日本の先住民族」とはどのような人たちを指すのか。「先住民族」の定義と共にアイヌがそれに相当する理由を、(自然・歴史・文化に関する総合的研究博物館)を謳う同館の使命という観点から説明されたい。
先ず、アイヌ民族が日本の先住民族であることにつきましては、平成20年6月6日の国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択され、これを踏まえた内閣官房長官談話において「政府としても、アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識」が示されています。当館の展示では、基本的にはこれらの決議等を踏まえ、アイヌ民族を日本の先住民族と説明したものです。この官房長官談話では、「アイヌの人々が民族としての名誉と尊厳を保持し、これを次世代へ継承していくことは、多様な価値観が共生し活力ある社会を形成する「共生社会」を実現することに資するとの確信」が述べられており、このことは当館の使命とする「北海道のすべての人…が生み出し、残し託してくれた北海道ならではの自然・歴史・文化に関わる遺産を大切な宝ものとして未来へとつなぐ」北海道の国際化・文化力の向上…をめざす」等にも沿ったものであると考えております。
このような決議や談話に至る背景には、政府の有識者懇談会における学識者の審議をはじめ、民族学等の学会においても、アイヌ民族を先住民族と位置付けることを求めた意見・要望等があったと認識しております。
そもそもこの解説は正しいのでしょうか? アイヌ人は日本の先住民族なのでしょうか?
回答書は、国会決議、官房長官談話等を根拠にしました。しかし、この問題は人類学や考古学等の研究成果として結論付けられるべきものです。国会議員が判断できるはずもなく、その意味で、それを根拠とする回答が的外れであることは誰の目にも明らかでしょう。
回答書は、その内容によって図らずもアイヌ人が日本の先住民族ではないことを吐露してしまった訳ですが、少なくとも、アイヌの先住民族性に学術論争や異説がある以上、両論併記して展示することが、公立博物館運営の基本でなければなりません。
なお、三貫地遺跡(福島県)の人骨DNA分析の結果、アイヌ人は我々日本人と同様に縄文人の子孫であることが明らかになっております。
[検証2] 明治政府が北海道を日本の領土に入れ
☞ 明治以前の北海道は、日本ではなかったのでしょうか。
「明治政府が北海道を日本の領土に入れ」とあるが、貴職の考える領土とは何か。また、これ以前、北海道は何処に属していたのか。豊臣秀吉や徳川家康が蠣崎氏に蝦夷地統治を許容し、江戸幕府による北方警備や直轄統治、松前藩の蝦夷地における権限拡充という歴史的事実に照らして回答されたい。
北海道の国際法上の位置付けについてですが、平成3年第122回臨時国会における政府の答弁書において、「我が国の固有の領土であって、江戸時代末から明治時代初めにかけ我が国とロシアとの間で国境の確定が行われた際、北海道本島については全く問題とならず我が国の領土であることは当然の前提であった」とされているところであり、現在もこの見解が踏襲されているものと理解しております。
一方で、江戸時代までの北海道につきましては、幕府はこの地を「蝦夷地」と呼び、本州以南の諸藩となる石高制を施行しない等、明らかに異なる位置付けをとっていました。このことは、18世紀頃までの日本地図の多くが蝦夷地を描かないか、または異なる色で塗られていること等にも反映されています。また、江戸時代には蝦夷地のアイヌ姻族の社会が一定の自律性を有していたことが、当時の記録からうかがえることが広く指摘されています。当館の展示では、江戸時代までの蝦夷地が本州以南とは異なる位置付けであったことと、明治維新以後において「蝦夷地」を「北海道」と名付け、はじめて全道を直接に管轄する行政庁である開拓使を設置する等の施策が進められた経緯とを踏まえ、明治以降にあらためて近代国家に組み込まれた地域という意味で表記したものです。
展示における考え方は以上のようなことですが、このような重要な事項につきましては、それぞれの用語や考え方について、よりわかりやすくなるよう、引き続き検討と工夫を重ねてまいりたいと考えております。
これもまた、摩訶不思議な解説です。国際法が未成熟な時代、領海・領土概念が希薄であった実情を否定するものではありません。しかしながら、私たちの良識に照らし、真っ当な歴史認識として、この解説に同意する人はほとんどいないでしょう。同館には多数の学芸員が在籍しますが、解説担当者は、どうやら「明治以前の北海道は日本ではなかった」と言いたいようです。ならば、どこに帰属し誰の土地であったのか…。アイヌ展示コーナーという条件下でこの文意をひも解けば、"北海道はアイヌのものであった"。それが論理的帰結であり、また展示側の真意ということでありましょう。
回答書は、当時の北海道が日本の諸藩と異なる位置づけだった経緯やアイヌ社会の一定の自立性、明治以降近代国家に組み込まれた等の理由を挙げておりますが、「日本の領土に入れ」との国語的意味や語感に照らし、いずれも後知恵による詭弁を弄する類と言わなければなりません。
北海道自身が編んだ「北海道史」には「日本書紀に蝦夷の記述があること」「律令時代には管轄も明示されていたこと」が記されていることも、あえて付言しておきたいと思います。
[検証3] その生活や文化は大きな打撃を受けます
☞ 負の面のみを強調し、近代化がもたらしたアイヌ人の、環境衛生の向上、寿命の伸長、識字率等の向上に触れないのはなぜでしょうか。
"1-4 蝦夷地から北海道へ"の解説ボードをお読みください。
http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/exhibition/permanent/theme-01/
和人との混住は、アイヌにとって〝打撃〟であり〝苦しみ〟であったことが強調された展示になっている。和人がもたらした文明の恩恵は、アイヌも同じ日本人として等しく享受してきたはずであるが、負の側面のみを強調する意図は何か。
また、アイヌ文化の一例であるイオマンテ(熊の生贄)、ワナによる動物捕獲等の禁止については、自然保護や動物との共生、また幼女(女性)に対する入墨禁止については女性の人権、健康という各観点を踏まえて回答されたい。
北海道の開拓政策が進められる中で、アイヌ民族のそれまでの生活基盤が大きな影響を受け、また伝統文化の様々な要素が否定され、アイヌ語等はその継承が危機的な状況に至ったこと等は、広く知られていることと認識しており、当館の展示におきましても、このような面を伝えるようにしているところです。
それとともに、今日までの北海道の歴史の歩みの中で、アイヌの人々が自らの生き方を広げ、農業を始めとする様々な職業に就き、地域社会の担い手となっていたことを紹介し、アイヌ民族と和人とは、共に北海道を築いてきたのであり、これからの北海道を担っていくとの認識を示しているところです。このようにアイヌ民族と北海道の歴史の様々な側面を示すことで、「多文化共生」「異文化理解」「国際化」が重視される国際社会に向けて、北の大地の豊かさを伝えていきたいと考えています。
今後とも、歴史の様々な面をよりわかりやすく、的確に伝えることができますよう、展示で取り上げるテーマや視点、表現等の見直し、充実に努めてまいりたいと考えております。
アイヌ展示コーナーとはいえ、この解説はあまりに一方的というほかありません。同じ解説は館内展示「1-4 蝦夷地から北海道へ」「2-4歩みをたどる」でも繰り返され、ガイドブック(2015年初版)では、同じ内容または要旨を同じくする記述が、16頁、17頁、18頁、23頁で重ねて展開されます。正に、インディアンを滅ぼしたアメリカ西部開拓史を彷彿させますが、さて、この北海道で本当にそのような歴史事実があったのでしょうか?
アイヌとインディアンの境遇を同一視できるわけもなく、小さな小競り合いを除き、日本(ないし日本人)が国家(ないし総体意思)としてアイヌ人を虐殺し、搾取したなどの歴史事実はまったく存在しません。
公開質問では、アイヌを被害者とするなど負の側面のみを強調する意図と共に、近代化への過程における文化的接触や衝突~熊の生贄、幼女の入墨等の禁止~等の評価を問いました。回答は「アイヌ民族の…伝統文化の様々な要素が否定され」とするのみです。近代化がもたらした環境衛生の向上、寿命の伸長、識字率向上等の恩恵には一切触れません。
ならば、私たちは再度問い直さねばなりません。仮に、アイヌのそれら原始的習俗が彼らの伝統文化だとして、近代国家に生きる私たちがなおそれらを許容し尊重すべきなのかと。そして、現代日本人は、アイヌを一方的に加害、抑圧した先人の子孫なのかと…。
答えはあまりにも明白でありましょう。
おわりに
・軽視できない偏向展示とその影響※クリックすると内容が開閉します
かつて、全ての中学校歴史教科書に登載された"従軍慰安婦問題"を思い起こしてください。平成26年、その虚構性が暴かれ、朝日新聞が訂正記事と謝罪に追い込まれました。
しかし今なお問題は終着しておりません。官房長官談話の虚偽が撤回されず独り歩きしている結果、国家・国民の不名誉は晴らされず、慰安婦像は未だに諸外国に設置され続け、在外邦人が当該国で非難の矢面に立たされる実情にあります。
アイヌとの関係性も同根の問題と考えます。軽挙妄動というべき国会決議を奇貨として、学術的確証もないまま"アイヌ先住民族説"が独り歩きし、それが陰に陽に、あるいは政策的にアイヌへの過度な傾斜を招いている…それが現在の構図でありましょう。
これら諸現象は私たちの現在そして未来に一体何をもたらすでしょうか。
それは、日本人(特に青少年)の贖罪意識、先人に対する蔑視感情、伝統文化の軽視…であり、その先にあるのは反作用としての反アイヌ感情、日本人とアイヌの分断、民族自決や独立問題という国内的な混乱状況です。
私たちは、アイヌ人も同じ日本人と考えるものです。しかし回答書は、「多文化共生」「異文化理解」なる言葉により日本人とアイヌを"区別"したいようです。そうとするなら、独り日本人のみにアイヌ人やアイヌ文化への敬意を求めることは手前勝手であり、私たちが諾々と従う筋合いではありません。相手文化に対する理解や敬意、尊重とは、相互的に担保されて初めて可能となるものだからです。
・公立博物館がプロパガンダの温床であってはならない※クリックすると内容が開閉します
以上、皆さんの閲覧の参考に資する目的から、質問と回答のポイント、当会の考えの一端を述べてきました。
私たち日本会議(北海道本部)の立場、目的は当ホームページに公開したとおりです。
当会は、"公"に存在するものは、プロパガンダの温床として利用されてはならないとの立場から、今後ともこの問題を注視し、情報公開を求め、それを各種媒体で公開するなどの方法によって果敢に問題提起していきたいと考えます。
道民の博物館としての発展を願いながら、多くの青少年が誇りを感じ取れる施設としての再生に向け、皆さまのご理解、ご支援のほどお願い申し上げます。
なお、ご質問、ご意見などありましたら、当ホームページのお問い合わせメールフォーム
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